32歳と無限の可能性

「それによ アーロン。無限の可能性なんて信じるトシでもねぇんだ 俺は」


上のセリフはゲーム「FinalFantasy 10」にて主人公の父親であるジェクトが、ちょうど映画「アルマゲドン」でのブルース・ウィルスのような究極の選択を迫られ、戦友からその選択を責められた際に吐き出したものです。
http://www.cocodevideo.com/yt/-GC3TOfZRIo.html


もう10年以上前のゲームですが、当時プレイしていたyonboはこのセリフに対して妙な違和感を覚えたものです。


というのも、ファンタジーゲームという性質上、最終的には愛・夢・希望・未来
といったポジティブなテーマが貫かれるべきであり、例えそれがゲームの脇役であったとしても、無限の可能性が開かれる事を高らかに謳いあげるべきなんじゃないかと。
なぜ、こんなセリフをあえてゲーム中に入れる必要があったのか、、、。


あれから月日は流れて、yonboも32歳になりました。


今、改めて振り返ると当時感じていた違和感は全くなくなっていました。
あるのは、「今、自分はどうするべきか」という「問い」です。
(それにしても今でも簡単に振り返れるんだよねぇいい時代になったもんだ)


この年になってみて思い出すのは、yonboが初めて社会人になった時に配属されたプロジェクトのプロマネでした。


某数字のつく銀行さんのお仕事をしていた頃のプロマネは33歳ぐらいでした。結構大きなプロジェクトで、そこを取り纏めていたプロマネはペーペーのyonboからしたら雲の上の存在です。でも、yonboの席はなぜかその人と向かい合わせでした(汗)


ある時、世間ではホリエモンが「ライブドア時価総額世界一を目指す!」等として脚光を浴び始めた頃、プロマネが「俺も33かぁ、ホリエモンに負けたなぁ、、」といった事をボソっとつぶやいたのです。


それも冗談といった調子ではなく、本気で残念がっている様子でした。
yonboは「こんな立派なプロジェクトを任されて、しっかりと実績も残しているのに、これ以上何を望む必要があるんですか!」とひっそりとその時思いました。
なんで、こんな事言うんだろうと。


でも、今ならわかる気がするんですよ。プロマネも自分の「無限の可能性」と戦っていたんだなって。


30も半ばになると、いいかげん自分の性格や適性やらがイヤでもわかってきます。変えられるもの、変えられないものがハッキリとしてきます。


いわば、20代は探求の時期、30代は実践の時期、40以降は継承の時期でしょうか。
「無限の可能性」というのはこの探求・実践の時期でどれだけ自分に柔軟性を持たせ、「変えられるもの」を引き延ばしていく事かと思います。


これは本とか文字上ではわかっていても、実際にその年になってみないとやっぱわかんないもんなんですね。。。


冒頭のジェクトは自分の世界ではもう十分に自分の可能性を追求し、今は偶然に導かれた世界で、「もらいもの」のような人生で全てを後に託す事を選びました。


自分は32歳。まだジェクトの年には余裕があります。ホリエモンだって塀の中で再起しようと頑張ってるでしょう。それを見てきっと当時のプロマネもまだまだと思っている事でしょう。


せいぜい、あがいていこうじゃないですか。


全てのアラサーの皆様方へ。。